平成24年9月27日

県政ながの 宮本衡司

北陸新幹線を活かした観光振興について

Q 2年半後の北陸新幹線金沢延伸と、それに伴う飯山駅開業にむけた準備が北信地域でも活発になってきた。
北信地域は「日本のふるさと」とも言える農村の美しい原風景や、山岳、高原、温泉などの観光資源に加え、日本を代表するスキー場を抱えるスノーリゾートでもあり、四季を通じて700万人もの観光客が訪れている。
飯山駅の開業は北信地域にとって、首都圏や関西・北陸地域からのアクセス向上により、より大きく飛躍するチャンスと捉えている。
しかし、一方で地域としての魅力を発信できなければ、ただ素通りされてしまうのみならず、地元の人たちが特に関西・北陸地域への観光に行くための乗降駅となるだけではないかと懸念している。

北信地域の市町村は、新幹線の開業効果を最大限に活かすよう交通アクセスの整備、豊富な自然や食材から生み出される観光資源の開発、観光と農林業や商工業、教育などの連携による観光地としての魅力アップ、地域が一丸となった広域観光の推進などに取り組むこととし、今年1月、北信地域の6市町村と信濃町、飯綱町、さらには新潟県妙高市が一緒になって「信越9市町村広域観光連携会議」を設立した。
その後、事業の強力な推進のためには官民一体となった組織が必要との観点から、8月24日には県や北信地域の経済団体、農業団体等の民間団体を新たに加え、地域全体での受入準備体制を整えた。
県も参加することとなり、地元では大きな力を得た、とその支援を期待しているところだが、この「信越9市町村広域観光連携会議」への県の参画の意義と具体的な支援について、どのようにお考えか知事にお伺いする。


A(知事) 北陸新幹線飯山新駅は北陸・関西方面からの長野県の北の玄関口となる。長野県としてもこの新駅の設置を北信地域、県全体の振興へつなげていくことは大変重要な課題と考えている。地方事務所長にも栄村の復興支援とこの新駅を契機とした地域の活性化の2点を特に力を入れ取組んでほしいと伝えている。
「信越9市町村広域観光連携会議」へ県が参加することにより何点か市町村だけではない効果と言うものがあると思っている。北陸或いは、新潟との県境を越えた広域観光の推進、県外への情報発信、中期総合計画で山岳高原リゾートプロジェクトを検討中であるが、そうしたものとの連携も可能となってくる。また、食の発信という観点では『美味しい信州ふーど』の取り組みをしているが、一体となった具体的な支援を行ってまいりたい。
信越9市町村一帯は温泉・スキー・食・農村景観等、優れた観光資源豊富な地域。9市町村一体となった国内外へ通じるブランドの構築、長期滞在につなげていけるような旅行商品の開発、街づくり、飯山新駅を拠点とした二次交通の整備や観光案内所の機能強化、アクセス向上による移住が考えられる。
開業まで約2年半と時間が短い中ではあるが、まずは地域の皆さん中心に、この地域をどうして行くのかという構想をしっかり打ち立てていただき、スピード感を持って取り組んで行くことが重要だと考えている。県としても地方事務所、本庁の各部局、連携してこの取り組みを支援していきたい。

Q この連携会議には、新潟県の自治体も参加している。観光地を訪れる人々にとっては、それが何県の何市にあるかと言うことは大きな意味を持たず、観光地のあらゆる魅力を満喫することが楽しみである。
隣接する市町村は一面では競争相手であるが、新幹線の延伸を機に県境を越えた連携を進めることは、観光客の皆さんに対するサービスとしても非常に評価できる。

従来の様に市町村と言う単位でその魅力を発信するのではなく、地域(広域)としてお客様に滞在していただき、行政の枠を超えた地域を満喫していただくことが今後の観光の進め方と考える。
これは、県内レベルだけの話ではなく、長野県と新潟県、さらには北陸各県との県レベルでも同様のことが言えると思う。新幹線の延伸を機に隣接各県との県境を越えた連携、広域観光の推進についてどのように進めるお考えか、観光部長にお伺いする。


A(観光部長) 新幹線延伸により北信地域は関西圏と近くなるため、同じく関西圏を視野に入れている新潟県と連携し、6月・7月と神戸で観光展に共同出展した。延伸2年前となる来年3月にも同様に新潟県と連携しPRしていく予定。新潟県とは既に実務レベルで検討の場が出来ている。今後は両県の観光資源を組み合わせた観光ルート作り、旅行商品化の検討も進めていきたい。
富山県との連携については、今年5月に両知事による北アルプス観光交流サミットを開催し、新幹線延伸を見据えた広域観光の推進について共同して取組むことに合意した。インバウンドの大きな柱として、立山黒部アルペンルートを通じた誘客に取組んでいる。対象をこれまでの台湾に加え、シンガポール等へも拡大していきたい。また、新幹線延伸により、中国・台湾・韓国に定期航路を持つ富山空港が長野駅とは約1時間で結ばれることから、富山空港の活用を含めた外国人誘客に共同して取組んでいきたい。
国内の誘客については、7月に名古屋駅において長野富山共同で観光PRを行った。今後も大都市圏で観光PR・情報発信を行っていく。
また、岐阜県とも連携し、富山・高山を経由して県内に入り、県内を周遊するような滞在型ルート作りも関係する観光協会同士で研究中。

Q 「ふるさと知事ネットワーク共同研究プロジェクト」というものがあると伺っているが、この中で「歴史・文化をテーマとした広域観光ネットワークプロジェクト」の平成24年度は「古事記編纂1300年」をテーマとして全国に点在する古事記「ゆかりの地」をめぐる観光が提案された。
「神々の国」島根がリーダー県となり、鳥取・福井・奈良そして我が長野県も参加し、諏訪や戸隠などが紹介されている。

将来新幹線が北陸・関西に延伸されれば隣接県のみならず、大きなエリアで観光振興が図られ、このような壮大な夢のあるストーリー作りも誘客につながることと思うが、今現在、このプロジェクトの成果は出ているのか。


A(観光部長) このプロジェクトは古事記等をテーマとして、文化財・伝統文化等の観光資源をストーリーでつなぐという広域的な観光振興策である。具体的には、出雲市で開催された古事記等に関するイベントで参加各県がそれぞれの観光資源のPRを行ったが、本県内では県庁、県立博物館のロビーで各県の展示を行った。
プロジェクトの成果としては、様々な全国版の雑誌に古事記の特集が組まれ、本県では諏訪・戸隠・神坂峠等にも感心が得られた。遠隔地の県ではあるが、協力して情報発信を行うことでゆかりの地をお互いに紹介しあい、巡るという観光スタイルを提案できた。今後も遠隔地の県同士がテーマ性を持って連携して取り組んで行く

 

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栄村の復興支援について

Q 今月6日、木村和弘信州大学名誉教授を委員長とする「栄村震災復興計画策定委員会」から村に対し、復興計画の最終案が報告された。
これを受けて村では10月までに計画を決定するとお聞きしているが、ようやく復旧から復興へ舵を切る段階までたどり着くことができ、感慨ひとしおである。

県では、昨年の発災直後からの職員派遣に始まり、4月1日には現地本部として北信地方事務所長を本部長とする「栄村生活再建支援本部」を立ち上げ、また、4月半ばには県としての「復興支援方針」を策定し、これに基づき55戸の応急仮設住宅の建設をはじめ、数次にわたる補正予算を編成。さらには、10億円の栄村復興基金を創設するなど、全庁態勢で支援に取り組んでこられた。

今年度においても、5月に復興交付金事業として、災害公営住宅の建設、被災農地等の復旧調査、県道長瀬横倉停車場線の改良工事など、今年度分の配分可能額として8億3千万円余が国から示されたが、事業採択に当たっては、県が村と相談しながら復興庁と精力的に折衝していただいたと聞いている。特に、喫緊の課題であった被災者向けの村営住宅31戸については、11月入居をめざして鋭意建設が進められている。

また、長年の懸案であり、災害時の代替道路としても期待される県道箕作飯山線についても、国庫補助金の採択を得て整備に着手することができたことは地域住民とともに大きな喜びとするところだ。

このたびの、復興計画策定に当たっても、係長級職員1名を村に派遣して専任させるとともに、策定委員会には北信地方事務所長が委員として、また、市町村課長がオブザーバーとして参画され、最終案の報告に至った。
さらに、今定例会には、被災村民の住宅再建支援や雪深い栄村には欠かせない耐雪型の車庫を被災者向け村営住宅に整備するなど、村が行う事業に対し、「栄村復興基金」を活用して支援するため8千7百万円余が補正予算案として提出されている。

震災から早1年半となったが、この間、阿部知事を先頭に県職員のみなさん、また、議員各位には、様々な形で、迅速、かつ、きめ細やかな御支援を賜り、栄村の全ての村民とともに、改めて心より感謝申し上げる。

しかし、計画を作ったら終わりということでは意味がない。いかに、実効たらしめるかが重要であり、そのためには、村の主体的・積極的な取組は当然として、引き続き県のバックアップが欠かせないと思われるが、どのようにお考えか。また、知事は、様々な場面で栄村の復興が中山間地域復興のモデルとなるようにとおっしゃっているが、策定された計画案の内容を中期総合計画の中にどのようにして盛り込むか、知事のご決意と併せて伺いたい。


A(知事) 宮本議員は常に地域と一緒に復旧・復興に取り組み、ご尽力いただいた。改めて敬意と感謝を表する。
提案説明でも述べたが、復旧にとどめることなくしっかりと未来を見据えて復興に取組んでいただくことが重要だと考えている。また、結果のみならずプロセスも含めて中山間地域の復興モデルになることを願ってきた。栄村においては、復興計画策定にあたり、住民と共にということを基本に終始取組んでこられた。各委員が直接集落に出かけ様々な立場の方と意見交換を行い、きめ細かいニーズを汲み取ってこられた。こうしたプロセスこそ重要な取り組みだと考えている。また、計画案についても作れば終わりということでなく、具体的な事業の進展も含め、計画の進捗状況を住民参加のもとで点検・評価していくことが盛り込まれており、これも大変重要な視点だと考えている。
10月上旬には村で計画決定されることになるが、案に盛り込まれている若者の定住、子育てしやすい村づくり等、さまざまなアイデアのもとで集落が活力を取り戻し、村全体が元気になるような取り組みを期待している。こうした事業一つ一つが中山間復興のモデルとなるよう、県としても村と一緒に考え、新しい総合5ヵ年計画の中にもきちんと位置付けを行い、引き続き全力で支援していきたい。

 

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文化財の保存について

文化財の保存について、地元飯山市の小菅神社を例にとりながらお伺いする。
小菅神社は飯山市瑞穂地区小菅にある神社で、北信濃三大霊場の一つとして人々の信仰を集めてきた。
信州大学の笹本正治教授は著書の「飯山風土記」で、「あなたは小菅の名前を知っていますか。行ったことはありますか。おそらく長野県民の多くは小菅を知らないと思いますが、実にいい場所です。あたかも歴史のゆりかごの中でそのまま眠り続けたような趣があります。」と小菅の集落を紹介されている。
ここには、仁王門(におうもん)、里宮(さとみや)、現在は祭り資料館として使用されている講堂(こうどう)、信濃33番観音霊場巡りの第19番札所となっている観音堂(かんのんどう)、そして奥社へと続く参道などがあり、小菅神社の往時の盛況はいかばかりかと思わせるに十分である。
また、小菅神社は平安末期には既に修験道(しゅげんどう)の道場が存在し、上杉謙信が武田信玄との戦に際し戦勝祈願をしたという記録が残されており、はるかな昔から多くの人々の信仰を集め、守られてきた神社である。

昭和36年にその文化的価値が認められ、小菅神社奥社本殿(こすげじんじゃおくしゃほんでん)及び附属宮殿(ふぞくくうでん)二基が国の重要文化財に、平成23年には小菅の柱松行事(はしらまつぎょうじ)が国の重要無形民俗文化財に指定された。
また、昭和39年に桐竹鳳凰文透彫奥社脇立(きりたけほうおうもんすかしぼりおくしゃわきたて)等が県宝(けんぽう)として、昭和49年には小菅神社の杉並木が長野県指定の天然記念物となった。

しかし、神社を守ってきた小菅集落は現在では戸数が63戸で高齢化率が42.5%となっており、飯山市の30.1%をはるかに超えているという状況である。このような中で、今年の大雪により奥社が大きな被害を受け、修繕に3千890万円を要するということになった。

このうち国からは80%を県からは4%の、合わせて3千267万6千円を補助していただき、残りの16%、622万4千円を飯山市と地元が2分の1ずつを負担することとなっている。この結果、神社の所有者である地元小菅の皆さんの負担は事業費の8%、311万2千円になるとお聞きしている。

現在の補助制度の中では国と県を合わせて80%を超えるという補助は将に超高率補助であり、祖先から受け継がれてきた貴重な文化財を守るという観点からこのような補助率になったものと考える。しかし、貴重な文化財は過疎地で高齢化の進んだ地域に多く存在し、地元の皆さんはその保存と次の世代への引き継ぎに、大変苦労されていることも、事実である。

文化財を守り次の世代に引き継ぐことは、現在を生きる私たちが行わなければならない大切なことであると考えるが、過疎化・高齢化の進んだ地域・集落の皆さんに高額な金銭的負担を求めることには些か無理があると思う。さりとて、行政にその責任の全てを負って貰うことも実現不可能なことである。今後の文化財の保存の在り方についてどのようにお考えか。


A(教育長) 文化財は地域に暮らす人々の営みと関わりながら育まれた歴史や風土を反映した貴重な地域の宝であり、国民的財産でもある。文化財を守り、活用することは地域を守り活性化することであり、地域にとってのみならず県にとっても重要なことと認識している。
県内各地にはこのような地域の人々が育み、大切に守ってこられた文化財が数多くある。文化財の保護は、一義的には所有者が行うこととされているが、過疎化・高齢化の進展や厳しい経済情勢等により、全てを所有者に求めていくことは大変困難な状況になっている。こういった状況の中、これまで以上に国・県・市町村・所有者及び地域の皆さんが連携・協力し、一体となって地域の宝である文化財を後世に継承していくことが重要であると考えている。

Q 単純計算で行くと、当初の計画では、地元の63戸の負担金額は1戸当たり6万7千円となる。飯山市が補助要綱を改正し補助金額を引き上げたことから、地元負担は110万円ほど少なくなった。

古い話だが、小菅神社では昭和41年から43年度に本殿の修繕を行っており、その際には県からも助成をいただいている。
現在、県の補助要綱上の補助率は、国庫補助残額の1/2以内であるものの、厳しい財政状況の中、年々補助金の総額が減少し、補助率も低くなり、実質は3~5%の補助率とお聞きしている。
重要な文化財を抱える地元の多くが、当時に比べて過疎化・高齢化しているという現状を踏まえると、補助率なり補助金額を見直すべきと考えますが如何か。


A(教育長) 補助対象になる指定文化財は増加している。一方、厳しい財政状況を反映し、県の補助金の予算は年々減少してきており、運用上の補助率も下がってきている。この結果として所有者の負担が相対的に増大するため、文化財の修理等が先送りされたり、文化財保護の取り組みに支障が生じるおそれもある。
こういった状況を踏まえ、より公正な配分により所有者の負担を軽減し、安定的、持続的に文化財を維持・継承できるよう、現在補助制度の見直しを検討している。

Q 文化庁の制度の中に「文化的景観の保護制度」がある。
文化的景観とは文化財保護法第2条第1項第5号で「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことができないもの」と定義されている。

現在、佐賀県唐津市の蕨野の棚田、長崎県平戸市の平戸島の文化的景観及び岩手県遠野市の遠野・荒川高原牧場などが都道府県または市町村等の申し出に基づき重要文化的景観として選定され、保存活用のためにさまざまな事業が行われ、その経費に国からの補助が行われているとお聞きしている。

私は、小菅集落の景観、特に背後に小菅神社の参道を背負い、鳥居の前から西側を望んだ風景は素晴らしいと思う。映画「阿弥陀堂だより」のロケにも使われた集落中央の道から目を上に転ずれば妙高山が厳かに立っている。
笹本教授の言葉を引用させていただくと、「あたかも峰越しに阿弥陀様のお顔を拝するようです。参道も船石(ふないし)までは殆んどこの道に続く直線になっています。小菅の集落は妙高山を西に見るように計算され作られたと考えられます。」
私も朝日を背に鳥居の前に立ち、この風景を見たときには、思わずこの言葉を思い出し両手を合わせていた。

この風景は将に重要文化的景観にふさわしく、県におかれても飯山市と連携を取り、国への申し出に向けて検討をすべきと考えるが如何か。


A(教育長) 重要文化的景観は平成18年1月に滋賀県近江八幡の水郷を1例目として、現在全国で34件選定されている。本県からは、千曲市の姨捨の棚田が選定されている。
この文化的景観で評価されるのは、地域の人々の生活、生業、風土を基盤とした重層的に形成された土地利用等のあり方である。
飯山市小菅地域では、小菅神社から湧き出す水を独特な方法で農業、紙漉き、融雪等に用いる水利体系や門前集落を起源として形成された石積みの集落景観、そしてこれを作り上げた地域の人々の営みが重要な価値を構成すると評価している。
こうした観点から平成22年度より飯山市が文化庁との事前協議や調査を進めてきた。本年度から補助を得て、正式に重要文化的景観の剪定を目指した調査及び保存計画の策定を開始しており、県教育委員会としても引き続きこの取り組みを支援していく。

先人達は苦しい生活の中にも努力を重ね、貴重な地域の歴史である文化財を受け伝え、守り育ててきた。これらを次の世代に手渡すことは、現在に生きる我々の責務と考える。
それには集落の持つ機能を、官民あげ総力を結集し、維持・再生させることが必要。消滅の危機に瀕している集落が県内各地に数多くある。
集落の消滅は国家の衰退につながる。すなわち、消えかかっている地域の文化財を守ることが、ひいては国を守ること、日本の歴史・伝統を守ることに他ならない。
誰にも生まれ育った故郷(ふるさと)があり、郷土を愛する心は国を愛する心につながる。最後に、正しい愛国心、愛郷の精神を育む教育を強く押し進めるよう県に要望して、一切の質問を終わる。